牛若丸との出会い

 

1.【義経を知る】

出会いはごく普通でした。

歴史で源頼朝が出てきたときに

義経という弟の話が出てくること。

 

弁慶という相棒が居て

義経→牛若丸は背が小さく、身軽だった。

イメージは白い衣に藍色のズボンと笛。

 

2.【牛若丸には程遠い。。】

そんな感じで知った小学校の頃

俺は野球部をやっていた。

小学校3年の頃、平気でズル休みして

友達と遊んでいた。

小学校4年生の頃もあまり記憶に無い。

 

なにもしないで学校をすごすのが考えられなかった。

小学2年生の考え方としてはおかしいけど。

親に進められたわけでもなんでもない。

やりたいならやりなさい。

大変よ!とも言われていた。

 

でも野球なんか好きではない。

TVもいまでもあまり面白いとは思えない。

 

3.【何よりも仲間が好き!】

しかし僕が小学5年になったとき

担任の先生が変わった。(小学校の時6年間で6人の先生が担任だった)

その先生は俺の担任でありながら、

野球の顧問にもなった。

 

そしてこの頃から急に野球が楽しくなった!

それは間違いなく仲良しメンバーだったからだ!

うちの学校は小規模で暮らすが14人で男6人女8人だった。

野球をやってたのは俺ともう一人だけだった!?違うかw

まぁいいや。で俺はいつもひとつ上の学年とばっかり

遊んでて仲良かったせいか

野球が超楽しくて、全然つらくなかったし、毎日楽しかった!

 

4.【やっと勉強しはじめた学校生活。】

そして学校でも歴史が好きだった俺は

たくさん参考書を開いて、レポートを何時間もかけて

出して、出して出してを繰り返してた^^

漢字も大好きで、漢字検定に打ち込むために

めっちゃ漢字も書いていっぱい提出していた。

 

5.【そんなある日】

部活後、あれは雨だったのか冬だったのか・・・

きっと雨だと思うけど

室内で野球の練習があった日

最後終わったあと直後にまだみんなが

顧問を囲んでる段階で、みんなの前で

先輩を怒っていた。

なんで怒ってたか、そこに誰が居たかとかは

全然覚えてない。みんなもいたか、

そもそも野球の練習だったかも覚えていない><

 

でも土日の練習でこれる人が少なかったのかな!?

 

まぁそれで怒ってるのを

横で聞いてたとき

いきなり先生はこういった!

「たっつはすげぇんだぞ!練習でもがんばって学校でもがんばって・・・・」

その後の先生のせりふは覚えてない!

なんでいきなりみんなの前でこんなこと言うんだろ!?

俺はパニックだったし!

公平性にかけるとも思った。

 

だって先輩は俺が大好きな先輩たちで

なおかつ尊敬してる人たちの前で

怒られ、しかも後輩が褒められ

俺は下しか向けなかった。

 

でもそれからの練習のなかで

先生はショートをやっている俺に

「平成の牛若丸」といってくれた。

ショートの動きと学校でのことあわせて

言ってくれたと思っている。

だからそれは今でも深く深く俺の胸に残ってる。

 

もう一人の自分。平成の牛若丸。

先生は冗談で言ったのかもしれないけど。。

俺は感じている。

 

 

6.【先生の教え】

先生は俺の歴史や漢字のノートのコメントによく

こんなことを書いてくれた!

辛い時こそ、苦しいときこそがんばれば成長する!って。

これはその後、野球をやってる中でも

何かあった時に、みんなの前で

「たっつ、苦しいときこそなんだっけ?」

といわれて、「苦しいときこそ、辛い時こそがんばれば成長する!」

って言って仲間を鼓舞する力にもなった。

 

 

そしてこの年、僕は初めて小学校の地区予選に出るための

戦いで優勝した!!

最高だった!!